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電通の過剰請求はなぜ起きたのか? 〜日本の広告業界の「精神的」「構造的」特殊性からの推察

www.nikkei.com

9月21日、オーストラリア系の広告業界メディアAdNewsに掲載された電通のネット広告における過剰請求問題は、23日、2日が経って日経新聞に掲載された。

運用型広告における虚偽・過剰請求ということで、運用担当者のモラルや知識不足など人材育成の視点での原因を指摘する声があるが、私はこの問題は、もっともっと根深い、ザ・日本の総合広告代理店のあり方、にその本質があると思う。

電通トヨタ、という気まぐれコンセプトでも描かれた「ザ・日本の広告業界」感のある2者の間で起きた問題は、古き"良き"代理店と広告主の関係性の、終わりの始まりを感じさせる。

正直、多少邪推な部分もあるとは思うが、私自身、日本の広告業界、メディア業界のいずれにも関わり、かつ海外のメディアエージェンシーやグローバル企業と仕事をしていたこともある経験をもとに、本件はなぜ起きたのか?その日本的総合代理店の商慣習に起因する、根深い理由について考えてみたい。

※正直長いです‥根気をもってお付き合い下さい‥ 

 

1.過剰請求問題の整理

まず、今回の過剰請求事件、ポイントと思うところを以下4点にまとめる。

  1. ネット広告の掲載に際して掲載実績の虚偽申告が起き、過剰請求も確認された。
  2. 特に運用型広告の請求において、不適切な業務が行われた。
  3. 広告主(トヨタ自動車)の問い合わせによって、問題が発覚した。
  4. 4年間で633件、111社の広告主に対して上記のような不適切な業務が発生した可能性がある。

1に関して、何故虚偽申告をしたのか?については考えを後述する。

2については、ネット広告のならでは、と言える。そもそも運用型広告とは、特定の成果(露出/視聴/クリック等)に対して単価が設定されたもので、成果地点を計測する技術が進んだ、ネット以降にその存在感が大きくなった出稿形式である。一方ネット以前は、特定の広告枠(新聞/雑誌等)に特定の時間・量出稿することに単価が設定された予約型広告が主流の形式であった。

枠と単価が連動する予約型は出稿金額を欺くことがとても難しい。広告主も当然枠ごとの単価を承知しているからだ。しかし運用型については、特に広告主のビジネス成果に直結しない「広告露出量(Imp等)」を成果地点とする場合、広告主を欺くことがそこまで難しくない。実際にネットの広大な海の中で、自社の広告バナーが何回(正確には何Imp)露出したか確認することは不可能だ。(逆に広告主のビジネス成果に直結するのは、クリック数、インストール数等を成果地点とする運用型である。これらの指標は広告主が直接管理することも多く、欺きづらい。)

今回、本件発覚の発端となったのがトヨタ自動車であることもこのことを物語っている。トヨタは、販売手段を自社で持たない。販売会社は自社でなく関係会社である。ゆえに、自らのブランドを広く知らしめ販売会社の販促支援をするのが、トヨタの広告宣伝である。そのため、運用型広告を出稿するとしてもクリックやインストールよりも露出量の最大化を主目的として実施するのが自然である。

そこで3である。トヨタ自動車は本件を自ら認識し、電通に問い合わせる形で問題が顕在化した。トヨタは何故本件を検知することができたのか?

トヨタは2015年、デジタルマーケティングの推進に本腰を入れるにあたり、元々広告宣伝機能を持ったトヨタマーケティングジャパンではなく、トヨタ本体内で機能強化を図った。

business.nikkeibp.co.jp

独自のDMP(自社で保有するデータを集積・加工しマーケティング利活用可能にするプラットフォーム)の構築も含め、Google等のIT企業からの出向を含め人材を名古屋のトヨタ本体に集中させ始めた。これには、いわゆる広告宣伝領域のみならず、マーケティング活動の全ての意思決定にデジタルデータを活用していく強い意志が感じられる。

実際、既存の顧客データやデジタルの出稿データを組み合わせてデータを統合的にマーケティングに生かしていく試みは、グローバル企業の多くが実施し始めていることだ。その中で、トレーディングがリアルタイムで、取引が複雑になりやすい運用型広告は代理店に任せずにインハウス(自社)化するという流れも進んでいる。

推測するに、トヨタはこの組織の再編・強化に伴い、過去の運用型広告のパフォーマンスの棚卸など行ったのではないだろうか。その結果、金額や数値が合わない結果が散見され本件の発覚に至ったのではないか。であるならば、この問題は国際的なデジタルマーケティングの流れの中、いつ発覚してもおかしくないことだったかもしれない。

最後に4の話が出たことで本件は、特定の誰かが私腹を肥やすために行った着服・横領の類ではなく、これまでの総合代理店ビジネスとデジタル広告との間の構造的な問題であることがわかる。つまりこれは、特定の営業局や特定の個人に起因する問題ではない、ということだ。

 

2.日本の広告代理店ビジネスの"精神的"特殊性とは?

ここで、本件について最初に取り上げたAdNewsの記事に立ち戻ってみる。実はこの記事には、本件のようなことが常態的に起きる日本の広告ビジネスの"精神的"な特殊性について詳しく書かれている。

www.adnews.com.au

該当する箇所を幾つか抜き出し、コメントを加えると。

 

日本の企業文化全般に言えることとして「信頼」と「長期にわたる関係性」に基づいてビジネスが行われることが語られている。電通トヨタのCEOが互いに非常に近い関係にある、という踏み込んだ言及もサラッとされている。この中で「長期にわたる関係性」というのは特に大きなポイントである。

Japanese business culture is heavily based on trust and long-standing relations. Dentsu's top brass, including president and CEO Tadashi Ishii, are known to be very close with Toyota leadership and CEO Akio Toyoda.

 

特定の代理店が特定の広告主を”扱い続ける”ことはしばしば数十年に渡り、両者の関係性・立ち位置が極めて"曖昧"になると述べられている。「長期の関係性」とは単に長く付き合うこととは違い立場を曖昧にしてしまうことだ。

Another senior agency source familiar with the Japanese media and advertising industry says agency tenures are typically so long, up to several decades as in the case with Toyota, the client-agency relationship becomes “extremely blurred”.

 

日本の企業人と仕事をすると、時にその人が広告主なのか代理店なのかがわからないことがある、と書かれている。更に、その現象が「透明性を虐殺する原因」であると強烈な言葉を繋いでいる。

“I have worked with individuals (in Japan) where I genuinely haven’t known if they were the client or the agency,” the source says. “It’s a recipe for transparency carnage, for a start.

 

上記の様なことは内資の総合広告代理店に所属していた者であれば、非常に実感があることではないだろうか。

総合代理店の中には、数十年に渡り同じ広告主を担当し続けている営業部長がザラにいる。彼らは常に得意先の人事情報を注視し、用があってもなくても得意先に出向き、休日も共にゴルフをする。公私共に渡る濃厚な人間関係を築くわけだ。こうした関係性の中で、情実的なビジネス機会が発生したり、広告主自身が代理店のパフォーマンスを検証し精査する力が削がれたりすることは当然起こりうることだろう。*1 

そう考えると、本件の遠因となっているのは、日本の代理店と広告主が「情実的」に長期的な関係を結び、互いを検証しあえなくなるような"精神的"な特殊性を持っていたから、と言えるのではないだろうか?

なんとなく、まあいいか、とちょっとした不正を行える、あるいは行っても許される精神的土壌ができていたため起きた微細な不正の積み重ねが、過去であれば検証されなかったのに、広告主自身のあり方の変化によって検証され発覚したのが本件でないか、と推察する。

 

3.日本の広告代理店ビジネスの"構造的"特殊性とは?

上では、日本の代理店ビジネスの精神的特殊性を見た。要は軽微な不正がなんとなく行えてしまうような、広告主との情実的な結びつきの強さがある、という話だ。これは付き合いの長いクライアントほどその傾向が強い。

だが、そもそもなぜそんな不正(過剰請求)を行ったのか?そこには日本の総合広告代理店の組織構造的な特殊性が横たわっているように思う。

では電通博報堂のようないわゆる日本の総合広告代理店が世界的に見て特殊な点はなんだろう?

端的に言えば、その「総合性の高さ」である。

日本の総合代理店は、あらゆる広告を扱うことができる。テレビも雑誌も新聞も、いわゆるマスメディアから、ウェブ・モバイルの枠型広告も運用型広告もなんでもだ。そして、メディアの扱いのみならずクリエイティブの制作、イベントの実施まで担うことができる。いわば広告の総合デパートである。

グローバルを見渡してみると、こうしたなんでも扱える代理店というのはあまり存在しない。メディアに関しては、特にデジタルは高度に専門化したブティックが総合的なメディア代理店とは別に存在していることが多い。さらに、メディアとクリエイティブの両方を扱える代理店、というのもあまり存在しない。クリエイティブを担うのは通常、独立したブティックである。 

日本の総合代理店は、広告主からしたらとにかく便利なのだ。グローバルでは、広告主側がメディアやクリエイティブを、その時々のマーケ戦略に合わせて個別に発注し統合するが、日本においては、広告主が一度マルっとオリエンすれば、すべてを統合した提案を返してくれるのだ。

私は、この「総合性の高さ」がゆえに過剰請求が起きたと考える。 要は複雑に入り組んだ案件全体の整合性を保つために、部分的に問題のあるレポートや請求が発生した、ということである。とはいえ、これだけでは実態が掴めないと思うので2つの事例(想像だけど)をあげてみたい。

A.統合型なメディア提案

さて、通常電通博報堂のような総合広告代理店は、小さな金額規模の広告取引をあまり受けない。例えば100万円でバナー広告を運用してくれ、といったオーダーである。こうしたオーダーはネット専業の代理店に流れることが多い。総合代理店からしたら「上がり」が小さすぎるからだ。それに、総合代理店の営業職は、広告の運用者というより、案件を上手に裁くプロデューサー的な側面が強い。単一のメディアを活用した少額な提案は、彼らからすれば扱いづらい割に上りが少ないのだ。

では、総合代理店にとっての華は何かといえば、統合的なメディア取引である。テレビ、ネット、雑誌など複数のメディアを活用して統合的な広告運用をするケースである。例えば、トヨタで言えば特定の車種のキャンペーンがこうしたケースに当たる。これはトータルでの金額規模が大きいし(特にテレビCMが含まれる場合)、タレントを使った派手なものになることも多いため、営業として是が非でも担当したいものである。

こうした統合型のキャンペーン、かつてはテレビに雑誌や新聞を組み合わせた程度だったのが、ネット広告の市場拡大、技術進歩とともに複雑化が進み、現在では予約型の広告(雑誌や新聞等)と運用型の広告(ネット、モバイル)の組み合わせとなることが当たり前となった。

ここで重要な要素が、予約型の場合、期初の予算がキャンペーン終了時に変わることはないのだが、運用型の場合「あり得る」ということである。

改めて振り返ると、予約型は特定の広告枠に一定量・期間出稿することに単価が設定されているものであった。広告を出すことそのものに単価が設定されているのだから、見積もりが変化することはありえない。

一方で運用型は、1成果地点に単価が設定されているものだった。運用担当者は与えらえた期間、与えられた金額で最良のパフォーマンスを出すように広告を文字通り運用する。結果は、終わってみなければ確定しない。ここで考えるべきは、期間内100万円で運用してくれ、と言われて広告を出したところ、枠が逼迫していたなどの理由で、100万円分の広告が掲出できず、例えば98万円分しか出なかった、ということだ。

キャンペーンが終了しトータルの請求を行うとき、上の例でいけば予約型は金額が事前の見積りと合っているわけだが、運用型は合っていないことになる。このとき、総額が10億円のキャンペーンで発注され、実態として運用型のみ数万円下振れていたとき、営業担当者はどうするだろうか?もちろん正直に請求し、完全に発注の通りに運用しきれなかったことを詫びるのが普通だろうが、数万円の下振れ分だし、過剰申告してでもおさまりを良くした方が角が立たない、と考える人もいるのではないか?

実際大きな金額の中の数万円だし、先に述べたように成果地点が「露出」であれば確認のしようもないわけだから、このようにしようとして、実際にした人がいたのではないか、と推測する。代理店の営業は非常に面子を重視することからも、悪意なくこのような方法をとったケースが複数あったのではないかと想像する。

B.メディアとクリエイティブが一体化した提案 

前述の話は、メディアプランニングの高度化を扱っていた。実際代理店の売り上げの大きな部分はこのメディアの上がりによって成り立っている。しかし、代理店にとって重要なもう1つの要素が「クリエイティブ」のプランニングである。つまり、どんな広告を作るか?という部分だ。

通常企業で特定商品のキャンペーンが予定されている時、その扱い代理店について競合プレゼンがなされる。そこではクリエイティブのプランとメディアのプラン、両方を提示し、その内容の優劣を競うのが一般的である。本来、クリエイティブとメディアは独立して評価がなされるべきだが、ありがちなのが、プレゼン内容の7割はクリエイティブの説明に終始し、メディア部分は少しの時間しか与えられないか、資料を読んでおいて欲しい旨言われるか、という非対称な状況である。しかし広告主も、クリエイティブ部分を積極的に評価し、クリエイティブが勝っていた代理店にメディアの扱いも一任することが日本国内では慣例的に多い。だからこそ、総合代理店におけるクリエイティブセクションは非常に強い立場を持つ。そして、彼らはそこへの職人的こだわりが強いことから、しばしば見積もりどおりの制作費を超過する。

制作費の超過をどう賄うか?クオリティアップのため、と広告主を説得し予算を上げる方法も当然あるだろうが、前述の通り、国内のキャンペーンプレゼンでは、クリエイティブの扱いを獲得することでメディアの扱いが付いてくることも多い。そして扱い代理店はそのトータルのバジェットを管理することになる。その中で、実際のメディアへの出稿を過小にして、制作費の超過分をそこに付け替える、という操作をすることがあったのではないか。運用型広告であれば、メディア仕入れ値を抑えることなくこうした行為が行えてしまう。

 

4.まとめとして。日本の総合広告代理店ビジネスの終わりと始まり。 

上に述べたように、私は今回の過剰請求事件は、日本の総合広告代理店が持つ「精神的」「構造的」な2つの特殊性に起因していると考える。

ビジネス上のなあなあが成立しうる、精神的に濃厚な結びつきを広告主と結び、そんな環境下で高度化した統合的広告提案の帳尻を合わせるため、悪意なく軽微な不正を実施する。極めて日本的なビジネスアフェアである。

これは裏返せば、広告主の側もこれまで、いわゆる「マルっとした提案」を代理店に求め続けすぎたことに原因があると言える。グローバルなマーケティング会社は、広告主の側も機能部署が細分化しているが、日本ではしばしば「宣伝部」が全てを担う構造になっている。ゆえに一つ一つの専門性が培われず、代理店に丸投げになる構造だった。

広告ビジネスは、かつての古き良き狭義の広告を離れて、ビジネスの成否に関わる高度な局面にまで来ている。特にデジタルはその傾向が顕著だ。ゆえにコンサルティングファームマーケティングの総体を扱う一環として、デジタル広告を扱うケースも増えてきている。

今回は、一足お先に広告主が、そんなぬるま湯から抜け出そうとした結果発覚したことなのだと思う。彼らの方が、より実際的なビジネスの課題として現在の広告ビジネスを捉えているのだ。

日本の総合広告代理店は広告の総合デパートであると書いた。デパートにはデパートの良さがあるのも確かだ。特に広告は、メディア・生活者環境が複雑化すればするほど、様々なメディアとクリエイティブを組み合わせた統合的なアプローチが重要になってくる。専門的なブティックは、一つのジャンルに閉じて詳しいが、統合化には向かない。

今回の件で、総合代理店が広告主との理性的な関係性の中で、総合力・統合力を武器としたプロフェッショナルプロデューサー集団へと脱皮することを強く求める。

*1:ただしこうした、広告主と代理店が長期にわたる堅固で不可分な関係性を構築すること自体は、日本に閉じた話ではないことを付記しておく。実際、グローバルな代理店のグローバル企業との向き合いでもこうした関係性はありうる。私自身メディアの担当者としてシンガポールで、某グローバル企業とミーティングした際は、取り扱いのあるメディア代理店の担当者が同席するのは当然だった。場合によってはクライアントの担当者が同席できず、代理店担当者のみと打ち合わせをしたこともある。

よく知られている話として、通常グローバルな代理店は1業種1社制になっており、特定の代理店は1つの業種につき、1つのクライアントしか受け持つことができない。

日本の総合代理店も近年はセンター制を取り、各センターを独立採算に近い閉じた組織とし、各センターに1業種1クライアントという置き方をすることも出てきたが、逆にグローバルな代理店は、グループ化が進み、グループの名の下に複数の代理店を保有し、グループとして同業種の複数クライアントを扱うアプローチを取っている。

ゆえに、ローカル、グローバル問わずそのクライアントと長期に渡る信頼度の高い関係性を構築していくのは極めて重要なことなのだ。

ただし、信頼性の獲得方法が、クライアントと情実的な関係性を結ぶというよりは、

  • 企業としてディスクロージャーを高める(広告主が代理店を監査することもある)
  • 能力の高い人材を配置する
  • 高いメディア仕入れ能力を発揮する

等理性的で指標化可能なスコアカードによって運用されているという点に違いがある。