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移り気MAX

記憶障害なのか、ただの移り気なのか。明日忘れないために今残そう。テレビ。映画。音楽。特撮。マーケティング。メディア。

評判になっているゼクシィのコピー。いやいやこれは今まで通りの既定路線だと思うよ、という話。

毎年恒例のゼクシィCM。今年のCM内で扱われているコピーが話題になっている。


ゼクシィCM「私は、あなたと結婚したいのです」風船篇

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。

 

 「結婚」を押しつけていない、多様な生き方を肯定しているといった意見をもって支持されているこのコピー。確かに、『結婚』の絶対量が増える事でより多くの利益を享受できるリクルートにとって、世の環境を相対化させる、少し立ち止まらせるようなアプローチは、一見理に反している。

 本コピーの前に提示されるセリフである「70億人が暮らすこの星で結ばれる。珍しいことではなくても奇跡だと思った」という部分も、リクルートの顧客である、結婚する2人の出会い自体を一旦相対化させている。

 この事実をもって各所が騒いでいる。やれ、新しいだ。リクルートが言うのエライ、だ。などなど。しかしこのアプローチ、確かに論法としての新しさや秀逸さはあるものの、当のリクルートにとってはたいしてこれまでと違う事をしたという感覚はないのではないだろうか。

 

 なぜならこのアプローチ、件のコピーもその前の台詞もいずれも、結婚という選択を『選び取っている2人』を称揚しているものだからだ。要は、敢えてその選択(結婚)をした2人はエライし、尊い。とアゲるアプローチだ。

 それは、ゼクシィが顧客にしているのが、結婚するかどうか迷っている人たちではなく、結婚を決めた、プロポーズの後の2人であるということを考えると非常に納得できる。ゼクシィが長きに渡ってタグラインとしているのは「プロポーズされたら」である。

 あくまでポスト・プロポーズ層を顧客として扱うのだから、世の環境を相対化させようが、結婚に向かってまい進している2人にとっては杞憂である。むしろ、2人の(あえての)選択を力強く後押しすることで、ゼクシィを買って式場を決める強いモチベーションを継起したい、という腹積もりだろう。つまり、これまで通りの「プロポーズされたらゼクシィ」を強化するアプローチに他ならない。

 

 多分今回明確に違うのは、外野の反応だ。ゼクシィの顧客でない人たちが、結婚だけを唯一の解として扱っていない、という相対化アプローチをほめそやしている。実際は、「結婚を選んだ2人、を称賛する規定演技」なわけだけども。

 そういう意味で、この相対化アプローチ、商材のターゲットの内にも外にも目配せできる、非常に強い手段だと感じた。そのあたりを、次の記事に書いてみたい。

 

utsurigimax.hatenablog.com